くもさんのお布団の合間から
ときおりおひさまが顔を見せてくれています
さぁそれでは本題に入りましょうね!
ヾ(≧▽≦)ノ
ほぼ一年越しですが前回の太平洋戦争後の通信の話題です
ある意味ここからのお話が私のいちばん書きたかったことかもしれません
一時は戦争に巻き込まれて壊滅的になった日本の有線通信ですが
瞬く間に復興を遂げます。
まずは都市部の復興からスタートしそれまでは電気通信といえば
電報が主だった郡部にもその声が届き始めます
そして農村部にも電話の便利さが伝わります
しかし当時の農村では電話を引くには
街から長い電線を張りめぐらさなければなりません
そしてそのための公平な負担として
高額な施設負担金を支払わなければなりません
さらには地域内での通話にも分単位の課金がなされます
もちろんこれらは農村でも都市部でも同じです
農村だから金額が安い・・・とか
農村だからお米で支払・・・とかはできません
時には農村部のほうが利用者が少ないという理由で
負担金が都市部よりもちょっと高めに設定されていた
時期もありました
そこで・・
同じ地域で電話を引きたい人が沢山いて
地域内の通話が中心だったら・・・・
ということで
普及したのが”有線放送電話”でした
つづきはまた次回にお届けしますね!
次回はUSENじゃない有線放送のお話です
それではまた
(@^^)/~~~
大切なお知らせ